令和3年1月のKPCレポートは、従業員持株会から代物弁済による借入金返済を受けた会社に、東税務署(大阪府大阪市)長から50億円を超える巨額の源泉徴収に係る所得税の納税告知処分がされたことから争いになった平成23年3月17日大阪地裁判決(大阪地方裁判所平成20年(行ウ)第231号所得税納税告知処分取消等請求事件)を紹介していきます。不納付加算税だけでも5億円を超える多額のものとなっており、今後、従業員持株会の縮小や解散を検討している会社は要注意の論点です。
1 概要
甲社は総合建設業を営む非上場会社です。甲社には従業員の財産形成に資することを目的として、昭和63年11月1日に設立された従業員持株会(以下「甲社従業員持株会」といいます)がありました。「甲社従業員持株会」は平成16年1月1日現在で甲社の発行済み株式1億株の20%弱にあたる株式1,827万6,210株を保有していました。
しかし「甲社従業員持株会」は、平成8年頃から「退会する会員から購入した配分済株式を割り当てるだけの新たな会員の入会や拠出金が確保できない状態」となり「未配分株式数及び原告(注:甲社のこと)からの不足資金の借入れが増加する」ようになっていたというのです。これはどういうことなのでしょうか。
2 「甲社従業員持株会」の借入金は300億円以上
通常、従業員持株会への入会を希望する従業員は「拠出金」を現金で出資して会員となり「会員としての権利(以下「持分」といいます)」を取得することになります。一方で会社を退職することになると会員の資格を失いますから「持分」を従業員持株会に返還する一方で、通常は「拠出金」と同額の現金の「払戻」を受けることになります。次に従業員持株会は「退会する会員」から返還を受けた「持分」について、新たに入会を希望する従業員や既存会員(以下「新たな会員等」といいます)に募集をかけます。そしてこの「持分」を取得する従業員が決まると、再び「拠出金」を現金で出資してもらい、その者が「持分」を取得することになります。従業員持株会はこのようなプロセスを繰り返しながら存続していっているのが通常です。
ところが判決文によると「甲社従業員持株会」では、平成8年頃から「退会する会員」が「新たな会員等」を大きく上回るようになっていきました。「甲社従業員持株会」がこのような状況に陥った具体的な背景までは判決文では明らかにされていません。しかし平成8年というとバブル崩壊による建設不況が深刻化していった時期と重なりますので、多くの建設会社がそうであったように、甲社も業績が悪化し、リストラクチャリングにより従業員数が急激に減少していったなどの理由が考えられます。いずれにせよこのような事態が発生すると「甲社従業員持株会」は「退会する会員」が大量発生して「払戻」のためお金が次から次へと出ていく一方で、採用抑制等により「新たな会員等」が増えずに「拠出金」が十分に入ってきませんから、資金繰りがどんどん苦しくなるということになります。一般的に従業員持株会というのは、そこまでたくさんのお金は持っておらず、かつ銀行融資を受けるということも困難です。そうすると「甲社従業員持株会」の場合、甲社から借入をして急場をしのぐ以外の選択肢は通常は考えられないでしょう。そしてこの甲社からの借入金はどんどん増加し、平成16年7月1日時点では300億円を超えるまで膨れ上がっていたのです。
3 会計監査人からも是正を求められる
公認会計士の感覚からすると、従業員持株会への貸付金が300億円を超えるというのは、明らかに異常です。実際に甲社は会計監査人からも是正を求められており、甲社と「甲社従業員持株会」はこの問題を解決する事態に迫られました。そして甲社と「甲社従業員持株会」は話し合いをした結果、平成16年7月1日に「甲社従業員持株会」が保有する甲社株式793万3,268株を、1株を4,050円、時価相当額を「4,050円×7,933,268株=321億2973万5,400円」と評価した上で代物弁済に充当して、同額の借入金を一括返済することで合意し実行しました。つまり「甲社従業員持株会」は、自身の保有する甲社株式の一部と借入金を相殺してもらったのです。
ところが東税務署長はこの取引について、甲社には源泉徴収義務があるとして、甲社に56億2,836万8,048円の源泉徴収に係る所得税納税告知処分及び5億6,283万6,000円の不納付加算税の賦課決定処分をしたのです。一体これはどういうことなのでしょうか。
4 代物弁済取引の仕組み
まずこの「代物弁済取引」の仕組みについて確認していきます。この話は専門性が高いため、経験のない人でもザックリと理解できるように簡単にイメージで説明します。これ以上の正確な理解をしたい方は法律専門家に確認してください。まず「代物弁済取引」は以下の2つの取引が一呼吸で行われる取引とイメージしてください。
① 「甲社従業員持株会」は、所有する甲社株式7,933,268株を321億2,973万5,400円で甲社に売却した。甲社から対価として「甲社従業員持株会」の銀行口座に同額のお金が振り込まれた。
② 「甲社従業員持株会」は、自身の銀行口座に振り込まれた321億2,973万5,400円のお金を借入金の返済のため、今度は逆に甲社の銀行口座にそっくりそのまま振り込んだ。
つまり「代物弁済取引」とは、「甲社従業員持株会」が甲社株式7,933,268株を甲社に売って甲社から対価を受け取り、今度はそれをそっくりそのまま借入金の返済のため甲社に払ったという2つの取引を一呼吸でやったと考えるのが本質的な理解です。現実の実務においては、300億円を超えるような巨額のお金を入出金するのは事前に銀行に連絡したりする必要があるなど大変ですし、振込手数料もかかります。何より「甲社従業員持株会」は受け取ったお金を、受け取ったと同時にそっくりそのまま甲社にすぐに戻すわけですから、このような大金を互いの銀行口座の中で行ったり来たりさせることにはあまり合理性がありません。そこで書面を交わすことで、お金を互いの銀行口座内で行ったり来たりさせることなく、上記①②の取引を一呼吸で行ったことにするのが「代物弁済取引」とイメージしてください。
5 自己株式取引には源泉徴収が必要
しかしあくまでも重要なのは、お金が動いていようがいまいが「代物弁済取引」の本質は上記①②の2つの取引が行われたことには変わりないということです。そして東税務署長が着目したのが①の取引です。①の取引は甲社から見ると「甲社が甲社株式を取得する」いわゆる「自己株式取引」です。ここは専門的で非常にわかりにくいところなのですが、甲社から見ると他者から株式を買う取引でも、その買う株式が甲社株式(自己株式)であれば、売主に交付したお金の一部が「みなし配当」すなわち「配当金」扱いとなるのです。「みなし配当」についてこれ以上細かく説明しようとすると字数制限内に収まらなくなるので、もっと詳しく知りたい人は公認会計士や税理士などの専門家に確認してください。
そして東税務署長は甲社が「甲社従業員持株会」に交付した321億2,973万5,400円のうち281億4,184万0,242円を「みなし配当」と認定しました。そしてその名の通り「みなし配当」は「配当金」と同じに扱われますから、甲社はお金を交付するに際して100分の20の源泉徴収をしなくてはならないということになり、その金額は56億2,836万8,048円もの巨額になります。ところが甲社はこの源泉徴収をしていなかったため、東税務署長は納税告知処分を行い、さらにペナルティとして5億6,283万6,000円(源泉徴収すべき額の10%)の不納付加算税の賦課決定処分をしたのです。
6 まとめ
甲社はよほど悔しかったのか、色々と理屈をこねくり回して裁判を起こしましたが、課税関係は明確な事案でしたので、大阪地裁、大阪高裁、そして最高裁の全てでその主張は認められませんでした。
これからコロナ過による不況が深刻化すれば、リストラクチャリングにより従業員数が減少し、従業員持株会の整理・縮小を検討する企業が多く出てくる可能性があります。従業員持株会が保有する自社株式を取得しようというような時には、このような源泉徴収の他、株価評価の問題など、他にも様々な検討事項があります。専門家に良く相談して慎重に進めるようにしましょう。