令和4年5月のKPCレポートは、相続税の「更正の請求」いわば払い過ぎた相続税の還付の可否について争われた令和3年6月24日最高裁判決について解説していきます。
1.相続税の計算の仕組み
最初に相続税の計算の仕組みについてザックリと確認していきます。相続税の計算は大まかにいうと2つのステップで構成されています。まず被相続人の相続財産に対して「相続税の総額」すなわちトータルの相続税額を計算するのが第1ステップと考えてください。次にその「相続税の総額」を「各相続人が相続する相続財産の比率」で按分し、それぞれの負担額を確定するのが第2ステップと考えてください。例えば被相続人が父親で、相続人は長男と長女の2名であったとします。「相続税の総額」が1億円で、遺産分割協議の結果、長男が相続財産の70%、長女が30%を相続することになったとすると、長男の相続税の負担額は「相続税の総額」1億円の70%で7,000万円、長女は30%で3,000万円というイメージでOKです。実際にはもっと複雑ですが、このレポートを理解するためにはこのイメージを持っていれば十分です。
しかし相続税の申告期限は「相続の開始があつたことを知つた日の翌日から十月以内(※実務上は相続発生日の翌日から十月以内であることが通常)」と定められています。十月というのは長いようで短いものです。相続人間で争いが発生するなどしてそれまでに遺産分割協議が成立せず「各相続人が相続する相続財産の比率」が未確定なまま申告期限を迎えてしまうことはいくらでも起こります。このような場合は「相続税の総額」を法定相続分で按分したものを、相続税の申告期限までに各相続人が申告および納税することになります(相続税法55条)。先ほどの事例で言えば「相続税の総額」1億円について、長男と長女がそれぞれ法定相続分である50%、すなわちそれぞれ5,000万円を申告期限までに申告及び納税する必要があるのです。
では後日に遺産分割協議が成立したらどうなるでしょうか。例えば長男が相続財産の70%、長女が30%を相続することで遺産分割協議が成立したとすると、長女が本来負担すべき相続税は「相続税の総額」1億円の30%である3,000万円です。ところが長女は既に5,000万円を納税してしまっていますから、差額の「5,000万円-3,000万円=2,000万円」を払い過ぎているということになります。このような場合、長女は「更正の請求」いわば還付請求により2,000万円の還付を受けることができます。このことは相続税法32条①一に明記されていますが、この「更正の請求」ができるのは「(遺産分割協議が成立したことを)知つた日の翌日から四月以内(※遺産分割協議書には通常は自分でサインすることから、実務上は「遺産分割協議が成立した日の翌日から四月以内」)」であることに注意が必要です。長男は逆に「7,000万-5,000万円=2,000万円」を修正申告により納税することでバランスをとることになると考えてください。
2.複雑な「更正の請求」の仕組み
ここで複雑な「更正の請求」の仕組みについて少し整理していきます。皆さんの中には「更正の請求」が可能なのは「申告期限から5年間」と理解している方もいるのではないでしょうか。確かにその理解は基本的に正しいです。ただもう少し正確に説明すると「申告期限から5年間」の間にできる「更正の請求」は「国税通則法23条による更正の請求」と呼ばれるものです。「国税通則法23条による更正の請求」は主として「計算誤り」によって払い過ぎた国税について還付を受けるためのものです。一方で前述の遺産分割協議に関連する「更正の請求」は「相続税法32条による更正の請求」と呼ばれるものです。同じ「更正の請求」であっても「国税通則法23条による更正の請求」と「相続税法32条による更正の請求」は根拠となる法令が違う全くの別物です。例えば「相続税法32条の更正の請求」は「(遺産分割協議が成立したことを)知つた日の翌日から四月以内」であれば、それが「申告期限から5年超」であっても(極端な話をすれば遺産分割協議が成立した日が申告期限から10年後であっても)可能です。「更正の請求」にはこれら以外の法令に根拠をもつものも多数あり、その根拠となる法令等により、それを行える期間等が異なるなどします。この辺の理解が不十分であったため、いつの間にか期限を過ぎてしまって還付を受けられなくなってしまったというような話は頻繁に耳にしますので、実務では細心の注意を払わなくてはならないポイントです。
3.本件の概要
ではいよいよ本題である令和3年6月24日最高裁判決の事例について解説していきます。実際の内容は極めて複雑ですので、ポイントだけを要約して解説していきます。これ以上のことが知りたい方は個別に相談してください。
被相続人であるA氏は平成16年2月28日に死去しました。A氏の相続人は7人の子でした。しかし相続人間に争いが発生し、相続税の申告期限である平成16年12月28日までに遺産分割協議は成立しませんでした。このため各相続人は相続税法55条により「相続税の総額」の「法定相続分」すなわちその7分の1を基礎とした金額をそれぞれ申告および納税しました。税理士が計算した「相続税の総額」は約75億円と巨額でしたので、各相続人は1人10億円以上を申告および納税したことになります。
ところがこの相続税申告について税務調査が入りました。税務調査の中で税務当局はA氏の相続財産に含まれていたある非上場株式が「株式保有特定会社」(※現行税制では「株式等保有特定会社」)に該当すると認定しました。その結果「相続税の総額」は約140億円へと急増しました。つまり本税だけでも「約140億円-約75億円=約65億円(延滞税や過少申告加算税を含めばさらに巨額)」の相続税の追加納付が求められるという大型の更正処分となったのです。
これに対し納得がいかないA氏の相続人達は税務訴訟を提起しました。税務訴訟は通常は税務当局が極めて有利といわれますが、本件については平成25年3月に相続人達の完全勝訴が確定しました。税務当局は「株式保有特定会社」に係る財産評価基本通達改正に追い込まれるという屈辱的な結果となり、大々的に新聞報道がされるなど大変な騒ぎとなりました。
※この「株式保有特定会社」を巡り相続人達が完全勝訴した裁判については、要望があるようでしたら別途KPCレポートにて紹介します。
4.実は最初から相続税を払い過ぎていた
しかしこの税務訴訟の過程であることが判明しました。裁判所が計算した本来の「相続税の総額」は約62億円であり、相続人達が自ら申告した約75億円よりもさらに少額だったのです。言うなれば税理士による相続税計算に誤りがあり、最初から相続税を払い過ぎていたことが税務訴訟の過程で発覚したのです。しかしこの裁判で相続人達が裁判所に求めているのは「税務当局による違法な更正処分を取り消す」ことです。そして相続人達が完全勝訴したということは、裁判所によって更正処分が「取り消される(=最初からなかったことにされる)」すなわち更正処分が行われる前の状態に戻されるということに他なりません。つまり更正処分による「相続税の総額」約140億円を、相続人達が最初に自ら申告した約75億円に戻すことまでが裁判所の仕事なのであって、本来の「相続税の総額」である約62億円まで戻すところまでは裁判所はやってくれないのです。従ってこの完全勝訴によって還付になったのは本税だけでみると「約140億円-約75億円=約65億円」に留まるということになります。
それどころか相続人達が自力で「相続税の総額」について再計算したところ、実は裁判所の計算にも誤りがあり、本当の正しい「相続税の総額」は約52億円と確定しました。つまり相続人達は最初から「約75億円-約52億円=約23億円」の相続税を払い過ぎていたのです。
5.「相続税法32条による更正の請求」が否認
ここでちょっとレポートの前半を思い出して欲しいのですが、相続人達は税務当局と税務訴訟で争う一方で、相続人同士でもまた争っていました。そちらについては平成26年1月にようやく遺産分割協議が成立しました。その後、相続人の1人が、本当の正しい「相続税の総額」の金額である約52億円を基礎として自身が負担すべき相続税を再計算し「(遺産分割協議が成立したことを)知つた日の翌日から四月以内」に「相続税法32条による更正の請求」を行いました。ところがこれを江東東税務署長が認めなかったため、この相続人は再び税務当局を提訴したのです。
ここまでの説明で江東東税務署長が「更正の請求」を認めなかった理由について、すぐにピンときた方はかなりの理解力があります。江東東税務署長が「相続税法32条による更正の請求」を認めなかったのは、ズバリこの約23億円の相続税の払い過ぎについては「税理士による計算誤り」に起因するものであって「遺産分割協議」とは何の関係もない(もちろん「税務当局による違法な更正処分」とも関係ない)からです。この「計算誤り」による「更正の請求」は「国税通則法23条による更正の請求」でなくてはならないのです。ところが前述のとおり「国税通則法23条による更正の請求」は「申告期限から5年以内」にする必要があります。「相続税の申告期限」は平成16年12月28日ですから、遺産分割協議が成立した平成26年1月の時点では9年以上が経過していて、とっくの昔に「国税通則法23条による更正の請求」の期限は過ぎてしまっていたため、江東東税務署長はこれを認めなかったというわけです。争いの結果、最高裁は江東東税務署長の主張を全面的に認めたため、この約23億円は完全に回収不能ということになりました。
6.税理士損害賠償はどうなるか
本件について税理士損害賠償請求が起こされたかについては不明ですが、訴えたところでこの税理士が20億円以上もの大金をもっている可能性はほとんどないでしょう。最終的にこの約23億円の大部分は確実に相続人の負担ということになります。税務訴訟で税務当局を完全に打ち負かしたと思ったら、最後に妙な「オチ」がついていたというわけです。